社会適応記

ADHD の独身社会人5年目が社会適応を頑張った結果、搾り出された残滓です。

自分という人間について〜発達障害と自己愛の関連性に絡めて〜

こんばんは。

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

Twitterをやっています。ADHD関連については、いわゆる「裏アカ」を使用しています。そのフォロワーの方から、最近勉強した書籍を聞かれましたので、この年末年始の自己反省に至った書籍だけでも掲載しておきます。

 

◯『パーソナリティ障害 〜いかに接し、どう克服するか〜』岡田尊司著・PHP研究所・2004年7月

 

◯『パーソナリティ障害がわかる本 〜「障害」を「個性」に変えるために〜』岡田尊司著・ちくま文庫・2014年8月

 

以下、タイトルについて。

 

年末年始は会社の都合で9連休を取得しました。僕は実家にも帰らず、自宅で部屋の掃除をしたり、読書をしたり、映画を見たり、トレーニングをしたりして過ごしました。そんな中で感じたことをまとめていこうかと思います。駄文をご容赦ください。

 

今回の記事は「僕」という人間の紹介も含めて、自己愛と発達障害についての関連性のお話です。

 

まだ恥ずかしくて、現実の友人や知人には見せることの出来ない内容が多分に含まれています。でも、記録として残していきたいと思います。紛れもなく、僕はそういう「人間」なので。

 

来歴について。

中国地方のとある一家に生まれました。両親は大阪で出会いましたが、両方とも生家は中国地方のとある県の田舎の農民です。父方の家は、都心部に近く、比較的大きな土地を所有していました。母方の家は、田舎の農家の一つでした。詳細はわかりませんが、こちらの家もまた、農地と家を保有しています。

僕は、父方の家に、物心ついた時から帰属意識を持っていました。今、振り返ると理由は大きく二つあるように思います。

1つ目は、日本古来の「男子の家系」が家を継ぐという風習。よくあるやつですね。父親の実家に戻ったり、宿泊する回数がメインです。ですから、僕は父方の家に帰属意識を募らせました。

2つ目は、母親が母方の家と関係が良くなかったことです。僕の母という人間は至極優秀な人間で、彼女は彼女の努力で持って、全力でド田舎を脱出し、当時まあまあ大きな企業に勤めていた父親と交際し、僕とその兄弟を産み、全力で育ててきたのだと思います。ヒステリックな性格をしており、それに困らされていたこともありましたが、今では非常に感謝しています。

 

両親についてです。

父親は大きな会社に営業職として勤めています。彼は非常にいい加減、自己中心的、そして人間的には不器用な人間です。しかし、真面目な部分もあるので、会社でなんとかやってこれたのだと思います。能力的にも高かったのかと思います。

人格的には優しい人間です。しかし、彼は短慮なところがあります。また、片付けや管理などが非常に苦手です。面倒くさがりなところがあります。今になって思いますが、彼は能力的に凹凸のある人間だったと僕は今でも思っています。

来歴的には生家の地方の高校を卒業後、関西地方の有名私大に入り、当時はまだそこまで規模の大きくなかったある企業に入り、現在もそこに勤めています。人物的にそこまで問題を起こさなかったのでしょう、彼は今もその会社に勤務しています。

 

母親は主婦をやっています。今は正社員としても働いています。彼女はヒステリックな性格です。理想主義者的な面もありますが、それに見合うだけの現実的な能力も併せ持っています。強迫性の強い性格ですが、田舎から独学で勉強し地方の国立大に合格、その後関西にて就職と一人暮らしを開始し、父親と交際後、結婚。そして上記のいい加減な父親とその遺伝子を受け持つ僕とその兄弟を育て、世話をし、なんとか社会に出しました。そんな来歴です。凄いです。

 

また、僕の家は、父親が転勤を伴う仕事に従事していたこともあり、地方を転々としてきました。ですから、「地元」という概念を僕は持っていません。どこに行っても、必ず「よそ者」なのです。それは今でも変わりません。それ自体は今となってはどうでも良いことですが、「僕」という人物の人格形成に寄与していると思います。

 

さて、僕についてです。僕は勉強は出来ました。関西の有名私大に進学しましたが、もっとサボらずに努力を重ねていれば、もっと上位の大学も狙えた可能性もあります。

大学では国文学を専攻しました。そして普通の一般大学生と同じように、よく友人と遊び、ダラダラとした日々を過ごしつつ、充実した生活をしていました。

その後、比較的有名な会社にたまたま入りました。この会社、というより業界は非常に特殊な業界ですが、知名度や信頼性も高く、俗に言う、「良い就職先」でした。

 

しかし、僕はここで致命的なエラーを連発しました。

失敗は数えきれないほどありますが、例えば、月に1回は必ず遅刻しました。主に寝坊が原因です。また、仕事の内容が総合的、かつ責任が大きく、裁量度の高いものでしたが、なかなか上手に行きませんでした。

私生活では、後に付き合うことになった女性達から散々指摘されましたが、料理は出来ず、洗濯もままならず、生活習慣は乱れきったもの…。

最悪だったのは、借金をしました。おおよそ交遊費や自分の欲を満たす為の分不相応なお金の使い方をしており、同年代の水準では普通基準の賃金だったにも関わらず、「約200万円」の借金をする羽目になりました。金銭管理が適切にできなかったのが原因です。

借金については、現在も継続して返済をしており、今も生活の足を引っ張っています。新社会人2年目から溜まっていた借金は2年半かけて200万にたどり着きました。

 

そんなことは周囲は梅雨と知らず、なんとかギリギリ「愛想」と「酒の席に付き合う」と「勢いの良い嘘」を通してやっていた僕は東京に転勤になりました。職務内容は変わりませんが、より規模の大きい、責任の大きな職務になります。

 

そこで、これまでの僕の評判(遅刻しまくる奴だという僕の評価)を心配してくれた現在の上司が、睡眠医院、精神病院を紹介してくれます。その後、ストラテラ25mgとサイレース睡眠導入剤)の服用を開始し、生活習慣を整えながら、借金返済と職務適応を繰り返している日々です。

 

適応行動のおかげか、料理も片付けも部屋の掃除も朝方の生活も借金の返済も少しずつ出来るようになっています。本当に苦しいですが、なんとかやってます。

 

ここまで読まれた方は、なんとなく理解されたと思いますが、そう、僕はADHDです。(注意欠如多動性障害)

この概念自体は最近生まれたものですから、僕はこのことについて、親には話をしていません。また、「自分が所謂、普通の人たちとはちょっと違うな」という感覚は少しはあったので、特段驚きはしませんでした。むしろ解決策があるのかということでホッとしたのが心情です。

 

まず、僕の能力の凹凸についてです。

僕は現在、ストラテラ80mgを服用しています。医者に言わせると、「不注意」が病状のようです。コンサータは服用していません。

wais3のFIQについてです。言語理解は112ですが、知覚統合が79となっており、その差は33です。

良かった項目は下記です。

・単語13

・類似13

・理解13

・算数16

悪かった項目は下記です。

・積み木5

・絵画完成5

・組み合わせ5

です。ブログなどで他の方のwais3の結果を拝見すると僕のように凹凸が大きい方はいらっしゃり、発達障害についての悩みも散見されました。

 

これが「僕」という人間なのですが、この原因については、遺伝的なモノ(おそらく父親の系列でこういう凹凸があるのでしょう)もあげられると思います。

医者によると、他の人たちより、僕はノルアドレナリンという脳内の要素が足りないそうです。(脳波を図ったことはありませんが。)

ですが、生命体の生存上なんの問題もなくこれまでやってきており、社会との関わりの中で生まれるのが、この障害のようです。

 

しかしながら、この「ADHD」について、僕自身、受け止めるのに非常に苦労しました。というのも、僕は学校のクラスでも「少し変わった奴」だったのですが、まあまあ勉強が出来たので、スクールカースト内でも居場所は少しはありました。

 

また、出来ることはとても出来るので、自分としては「僕は他人よりも、こんなに出来る」という風に自画自賛を繰り返し、周囲を見下す性格になります。しかし、周囲は僕の不出来な部分を知っているので、そこまで「オールマイティで優秀な奴」ではなく「勉強は出来る変な奴」として認識していました。ここに大きな乖離がありました。

 

父親や母親は勉強さえ出来れば、社会で問題なくやっていけると思っていたので、僕を甘やかしました。また、僕はこの凹凸と上手に向き合うことが出来ていなかったので、自分を自分で「なんでも出来る優秀な人間」だと思い、自己愛的な面を加速させていきます。

 

社会はそんなに甘くありません。また、景気の良かった時代と違い、今は個人の資質も求められます。

 

そんな中、僕は社会人失格の烙印を当時の会社の偉い人から受けました。

 

それでも継続して勤務出来ているのは、紛れもない奇跡です。

 

会社に入ってからその差が広がりました。失敗の連続です。僕はそれを真摯に受け止められませんでした。

それは、僕の会社が比較的のんびりした雰囲気であったことや、比べられる同年代の人たちが少なかったこと、僕自身が自己愛が異常に強く、自分のプライドで現実の認識を歪めていたことなどが絡まりあい、対策を講じるのが後手に回った結果だったと思います。

そうでなければ、私生活で200万円の借金は作りません。どこかで対策を打ちます。

 

僕は、勉強がある程度出来たが故に、発達の凹凸があったが故に、認知を謝り、自己愛を誇大化させた結果、何もかもを見下しますが、結局仕事が出来ない面を誰かに依存しており(出来なかった仕事は誰かに降りかかります)、それを凸の言語面で自己合理化してしまう という負のループでした。

 

発達障害ということが「障害」という言葉になっていることも僕のプライドをいたく傷つけました。どちらかと言うと、僕は普通の人達とは違う、少しインテリな人物だと自己像を描くことで、自分のことを守っていたのだと思います。

 

現実はそうではない。

 

社会において、評価を下すのは、常に他人です。

 

年間100万円稼ぐ能力があったとして、それを「すごい」もしくは「すごくない」と評価するのは常に他人なのです。(昔の僕はそれを見下していました。今の僕はそれをすごいと思います)

事実は、年間100万円稼ぐ能力がある と言うことだけなのです。

 

仮に、ある場所で、それを聞いた10人中、8人がすごいと言えば、その「場」では「すごい」となるのですが、それは場、つまり評価する側によって異なってきます。

評価、つまりそれによって生まれる社会的評価は常に他人が行います。それを受けて、自己評価を行いますが、僕の場合は、そこに家庭環境と、発達の凹凸と、僕の強すぎる自己愛が絡まりました。

 

結果、僕は自分の状況を受け入れられない、困った奴になっていたのです。そしてそんな僕が言うことなすことはチグハグでした。他の人からすると、意味不明なのです。

しかし、僕の中ではわかったことになっていました。(今もそう言うことはよくあります。)

 

発達障害、発達的能力の凹凸によって、周囲との「自己像に関する認知にズレ」が生まれ、過大化する「自己愛」を生み出し、ズレは埋まらないまま差が開き「事象の認識のズレ」に到達します。それが「発達障害者が他人を見下す」「自分を客観視出来ない、発達障害っぽい人」を生み出す傾向なのかもしれません。

少なくとも僕は、自分の「意識」や「性格」について、そう言う部分があることを非常に痛感しました。

 

発達障害を持つ、あるブロガーの方が、「自分はスティーブ・ジョブスじゃないとある時気づいた」と言っていましたが、まさにその通りで、僕はそんな特別な能力のある人間ではありません。必死に生きてるだけの、債務者です。

 

他の人たちも、同じように必死に、自分の意識を持って生きている人達なんだ、と今になってようやく気づくに至りました。

債務者な分、僕はポンコツですが。

 

そんな僕ですが、これでも生きています。そして自己愛の強い人間なので、賞賛を浴びたいです。今年はそこを狙っていければと思います。

 

書き出すと止まりませんが、そろそろ眠たくなったので、最後に日記的な話を。

 

ある時、鎌倉アルプスに登って、綺麗な夕焼けを見た後、建長寺に向かって下山する際、かなり苦労をされている妙齢の女性の方がいらっしゃいました。鎌倉アルプスというのはかなり急な石階段の連続で、その方は本当にゆっくりしたスピードで、その階段を降りていました。

階段は人一人通れるかくらいの広さなので、通行の邪魔ではありましたが(以前の僕ならそんな方には興味を示さなかったので、素通りしていたと思います)、謙虚になった僕は道案内を買って出ました。道すがら話を聞くと、山登りを30年続けたベテランのアマチュア登山家の方でした。その方からは、登山経験ゼロの僕にオススメの登山先を教えてくれました。

こんな出会い、発見もあるのです。つくづく、僕のような人間は損をしていると思ったものです。

 

それではまた、明日。週明けから地獄の仕事明けです。頑張ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自立支援医療費制度の申請をしてきました。

色々、ありますが、我々の最大の課題の一つ「薬価が高い」「カウンセリング料が高い」という金額負担の問題があります。

 

お金さえあれば殆どの問題は解決…というのはよく言われますが、その通りだと思います。

 

自立支援医療費制度については、個別に自治体のホームページを参照してください。

 

東京都の場合は、下記の通りです。

http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/smph/shougai/nichijo/tsuuin/seishintsuuin.html

 

僕が申請にあたって必要だったのは、次の物でした。

 

医療機関からの診断書…2通

 

マイナンバー

 

③健康保険証

 

④身分証明書

 

自立支援医療費制度申請書(これは申請窓口にあります)

 

まず、診断書をもらうのが最初のハードルです。診断書の費用が¥5,000-くらいかかる…(・ω・`)

あと、診断書は提出をすると戻ってきませんので、必ずコピーをして、手元に何かあった時用に置いておくのが良いと思います。

 

また、自立支援医療費制度申請書の作成にあたって、医療機関の住所、連絡先と薬局の住所、連絡先が必要になります。

 

こちらも整えておきましょう。

申請自体は窓口に行き、かくかくしかじかと説明するとそれで終了です。30分程度で終了します。

 

窓口は各自治体の保健所になります。区役所に電話するとたらい回しにされた後、住所の近隣の窓口を教えてくれますので、そこにしましょう。

 

なお、制度の適用(医療費、薬価の3割から1割負担への減額)は、申請した日からです。ですので、職場などの都合がある場合でも事情を説明して、出来るだけ早く申請書を提出しましょう。

 

保険所の方によると、申請後3ヶ月程度で適用書が届くそうですが、医療機関や薬局によっては、最初に提出した物の控えでも対応してくれるそうです。

難しいようであれば、適用書が届いた後、申請後から適用書受け取りまでの機関の差額は医療機関や薬局で請求出来るようです。

 

以上、長くなりましたが、今日、申請してきた感想です。

 

ついでに障害者手帳の方の申請はどうしますか?とも聞かれました。

やはり、そういった方向に進んでいるようですね。

頑張りましょう。